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勢太郎の部屋から出てきた生は、真っ青な顔をしていた。暗い廊下で、入る前よりもなおふらふらとした足取りの吉原の腕を取ったのは透子だった。
「・・・・・・大丈夫?」
「透子・・・・・・」
「うまくいったの?」
「・・・・・・」
「生?」
「俺は・・・・・・俺には・・・・・・」
喉にものを詰まらせたかのように、吉原は苦しげに呟いた。透子は下から吉原の顔を見上げ、尋ねた。
「・・・・・・思いを遂げられなかったの?」
「・・・・・・」
「怖じ気付いたの?」
「俺は透子みたいに強くない」
「強い弱いの問題じゃないわ」
「そういう問題だよ。俺は・・・・・・先生を裏切れない」
「もう裏切ってる」
「嘘をついていることは認める。でも、これ以上は無理だ」
透子は黙った。そして感情の乗らない声でこう言った。
「そう」
踵を返して透子は勢太郎の寝室に向かって歩き出した。その後ろ姿に向かって吉原は慌てて声をかけた。
「待ってくれ、君は・・・・・・やるのか?」
透子は振り返り、無表情のままうなずいた。
「あなたが未遂なら、体に残るのはあたしの「証拠」だけになる。何かあってもあなたは責められない」
「やめたほうがいい。傷つくだけだ」
「覚悟は出来てる。しないで終わるよりいい」
「終わる・・・・・・?」
はっとして透子は口を押さえた。吉原は不安そうに小首を傾げた。
「なんでもない。生は部屋へ戻っていて。そして中から鍵をかけて。入るとき、私は合い鍵があるから」
「透子!」
「・・・・・・お願いよ」
透子は手を握りしめ、うつむいた。吉原は透子の肩を掴んだが、やんわりと払いのけられて立ち尽くした。
「君は・・・・・・何かを隠しているのか?」
「隠す?」
「いま、終わるって」
「ことばのあやよ」
「透子・・・・・」
「行って」
頑なな透子の様子に、生は小さなため息をついて、廊下を逆方向に歩き出した。角を曲がり、生の足音が遠ざかるのを確認して、透子は勢太郎の寝室へ向かった。
毛足の長い臙脂色の絨毯は、静かに歩けば足音もしない。ベッドサイドの古めかしいランプの灯りを頼りに、透子は眠る勢太郎の傍らに立った。
仰向けで寝息を立てる勢太郎は、酒と睡眠導入薬でぐっすり眠っている。年を重ねて彫りの深さがさらに際だち、寝顔でもその整った顔つきは彫刻のようだった。
「勢太郎」
透子はそうつぶやいた。普段は「お父さん」と呼ぶ。もしくは、ねえ、とか、あのね、とか呼びかけることしかしない。ベッドサイドに腰を下ろし、ギシ、とスプリングが鳴っても勢太郎は目を覚まさない。透子は手を伸ばし、勢太郎の頬にそっと触れた。呼気の暖かさを手に感じる。ゆっくりと顔を近づけ、透子は勢太郎に唇を重ねた。
勢太郎が母に向ける優しい眼差しを目にするたび、透子は胸を痛めていた。どうして自分は、このひとの娘にしかなれないのか。口づけをしても目を覚まさない勢太郎の瞼に指先で触れた。くすぐったそうに顔を背ける。透子は一度ベッドから離れ、ブラウスの胸元のボタンに手をかけた。ゆっくりとブラウスを脱ぎ捨て、細いプリーツスカートのウエストのホックも外す。スリップと下着だけの姿になり、透子はもう一度ベッドサイドに寄った。
男性しか愛せないのだという吉原が勢太郎を愛していることを知った透子は、彼の気持ちを利用した。いや、利用というよりは同志。同じく道ならぬ恋をする者として、勢太郎のそばに自然にいられるよう、計画を練った。透子と吉原が恋人同士になれば、頻繁に家を訪ねてきても不自然ではない。そして透子は今夜、吉原に自らの想いを遂げるようにすすめたが、彼は罪の意識に苛まれ終わってしまった。
スリップ、淡い水色のブラジャーと揃いのショーツも脱ぎ、一糸纏わぬ姿になった透子は、まずベッドサイドのランプを消した。そして掛け布団を持ち上げて勢太郎のベッドに入った。眠る勢太郎の体温は高く、透子は勢太郎の胸に顔を寄せた。
「・・・・・・私の勢太郎・・・・・・」