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その年の盆。
町で行われる神社の夏祭りと、ラソンブレはいわゆるコラボをして、ホテルの入り口にテントを張り、焼き鳥だの綿飴だのを販売することになった。
フロント業務の俺までが、笑顔がいいから、といういい加減な理由で駆り出された。
ワイシャツの袖をまくり、法被を着て、はちまきまで巻いて呼び込み。
最初は気恥ずかしかったが、子供たちが綿飴を買うのに列を作り始めると、そんな余裕もなくなった。
「綿飴ふたつくださーい」
額の汗を拭う暇もなく次々と綿飴を巻く俺の耳に聞こえた、女性の声。
臙脂色の浴衣に黄色の帯。うちわを帯の前に差した女性が立っていた。
「あれ?あ、也(なり)くんだ」
「え・・・あ・・・」
俺の中では旧姓に変換されてしまう、仁科先輩の妻、山口弓。
隣のクラスでそう仲も良くなかったのに、再会したその瞬間から俺を「也くん」と呼ぶ。どういうことだよ。
「也くんが綿飴巻いてる!あ、あたしそのピンクがいいな。何味?」
「い・・・いちご、です」
「じゃあいちごひとつと、由(よし)くんは?どれにする?」
彼女は振り返り、離れたところに立っている夫に向かって大きな声を上げた。
仁科先輩は、先日俺が急に行った時と同じ浴衣を着ていた。
俺と目が合うと笑ってくれたが、若干よそよそしい。多分、奥さんと一緒だからだろう。
「俺はいいよ」
「なんでぇ、一緒に食べようよ」
「甘いの、苦手なんだよ」
「そうだっけ」
「・・・覚えろよ、いい加減」
つまんなーい、と言って頬をふくらませる彼女にいちご味の綿飴を渡した。俺の手に300円を置いて、彼女は下駄をカラコロ鳴らして仁科先輩の隣に走っていく。
仁科先輩の腕に絡まり付いて歩き出す姿を、俺は視界の端で見ていた。
そろそろ腕の傷は完治するころだろうか。
その傷のある方の腕に、彼女は巻き付いている。
何とも言えない気持ちが渦巻く。少し気を遣えよ。あんた、妻だろ。
と、俺がどんなに思っても、端から見れば仲むつまじい夫婦。子供がいないだけで、決して問題があるようには見えない。
だけど、奇しくも俺が先輩の家を訪ねた日、ホテルラソンブレには、「湯沢宏樹」とやはり「山口弓」が宿泊した。
あの日、昔の話に花が咲いて、奥さんは、と聞くのを忘れたのは不幸中の幸いだった。もし聞いていたら、仁科先輩はどんな顔をしただろうか。
悲しそうな顔をされたなら、俺はきっといたたまれなかっただろう。
どんなに仁科先輩が俺を可愛がってくれたとしても、夫婦の間に割り込むことは出来ない。
小一時間で綿飴を売り切ってテントを畳んでいると、尻のポケットで携帯が震えた。
表示された「仁科由悠季」の文字に、心臓が跳ね上がる。
同僚から少し離れて通話ボタンをタップした。
「もしもし」
「あ、葉山、綿飴終わった?」
「ちょうど今終わったところです」
「俺さ、今商店街の「漁り火」で飲んでんだけど。仕事終わりに寄らねえ?」
「・・・奥さんと一緒じゃないんですか?」
「それがさ、あいつ友達連中に会ったら女子会するとかなんとか言って、どっか行ったんだよね」
なんだ、それは。だったら最初から一人で行けばいいだろうに。
俺は心の中で毒づいた。
「あと20分くらい、かかるんですけど」
「全然大丈夫、飲んで待ってるから」
「はい、じゃあ後で」
冷静を装って電話を切ったが、顔が勝手に緩む。
山口弓の自由っぷりには腹が立つが、そのおかげで先輩に会える。俺はいつもより手早く支度をして、ラソンブレを後にした。