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「いらっしゃいま・・・せ?」
「・・・おい、なんだよ、その顔は」
フロントに現れた仁科先輩を見て俺はうっかり素っ頓狂な声を上げた。
いつもの作業着ではなく、白のTシャツにデニム。そして3歳くらいの可愛らしい女の子を腕一本で抱っこしている。
俺が女の子と先輩を見比べて口をぱくぱくさせていると、にんまりわらって答えを教えてくれた。
「姪っ子だよ」
「先輩の姪っ子さん?!めっちゃ可愛い!」
俺はフロントにいることも忘れて、素の声を上げてしまった。
「だろ?俺に似て美人でさ。ほら桃音、ごあいさつ」
桃音ちゃんという名前のふわふわの髪でまん丸い目をした仁科先輩の姪っ子は、舌っ足らずに「こんにちわ」と言った。
「姉貴がラソンさんで同窓会だっていうから、ちょうど休みだから預かったんだよ。な?」
桃音ちゃんは、元気にうん!と答えて先輩の頬にぶちゅっとキスした。先輩の首根っこに腕を回してくっついて笑っている。
確かに今日は、小宴会場でB高校の第59回生同窓会とかいう催し物がある。
「可愛いべ?」
「メロメロじゃないですか」
「おーよ」
「顔、やばいっすよ」
「だってお前、こんな可愛い女にキスされてみ?こうなるって」
「女って・・・まだ子供じゃないですか」
「あっという間に女になんだよ」
「・・・彼氏も出来ますしね」
「・・・・・・・」
「彼氏出来たら、どうするんですか」
「・・・とりあえず一回ぶっ飛ばす」
「迷惑な叔父・・・」
「あ?」
「なんでもないです」
仁科先輩は桃音ちゃんに髪を引っ張られながら笑った。先輩のこんな顔、知らなかった。
子供を望めないからなおさら、姪っ子が可愛くて仕方ないのだろう。
仁科先輩はその後、ロビーのソファで絵本を読み聞かせたり、肩車をして歩き回ったりと、すっかり子煩悩な疑似パパを楽しんでいた。
そうこうするうちに宴会場での同窓会が終わったらしく、がやがやと客が正面階段を降りてきた。
俺は仁科先輩のお姉さんに会ったことはない。
噂によれば、先輩に負けず劣らずのやんちゃなひとだったそうだ。中年男性に混じって階段を降りてきた、茶色の巻き毛の、身体のラインがわかる鮮やかなブルーのワンピースを着た女性に、桃音ちゃんがママ!と叫んだ。
明らかに周囲の人間よりもひとまわり若く見えるその女性に、仁科先輩は桃音ちゃんの手を引いてゆったりと近づいた。
ひとことふたこと会話して、桃音ちゃんと仁科先輩のお姉さんはホテルを出ていった。桃音ちゃんは先輩に向かって手を振りながら、大きな声で何度も、ばいばーい、と言っていた。
「めっちゃ可愛い・・・」
「うぉっ、びっくりしたっ、なにお前、急に後ろに立つんじゃねーよっ」
「休憩入りました。・・・先輩のお姉さん、お若いですね」
「あれはケバいっていうの。昼の集まりにあんな格好してくるひと、そういないよ?」
「はは・・・桃音ちゃんはいくつなんですか?」
「3歳になったばっかり。・・・姉貴バツイチで、前の旦那との間に中学生の息子いんだけど」
「えっ」
「再婚してすぐ妊娠してさ。高齢出産だっつーのに、どうしても欲しいって言って。で、桃音姫が産まれたわけ」
「・・・・・・」
「あいつ、俺の分まで授かり運持って行きやがったんだよ」
また俺は余計なことを言わせてしまった。必死に次の言葉を探していると、仁科先輩のひとさし指と親指が俺の額を力一杯弾いた。
「痛ったっ」
「暗い顔してんじゃねえっつの。気ぃつかうなって言ったべ?」
地元の言葉で喋る時、仁科先輩は機嫌がいい。どうしてこの状況で機嫌がいいのかわからないが。
すんません、と俺が謝ると仁科先輩はにんまり笑った。そしてデニムのポケットをごそごそと探り出した。
「也、煙草持ってねえ?」
「今、制服ですから、持ってないですよ」
「つか、吸うんだっけ」
「・・・吸いますよ」
「休憩中だよな」
「はい」
仁科先輩は、ホテルの外にある喫煙スペースを親指で示した。
俺はうなづいて、控え室の煙草を取りに走った。