メニュー
制服のジャケットを脱いで、私服のブルゾンを羽織って喫煙所に行くと、仁科先輩がホテルの外壁に背中をもたれかけ、くわえた煙草からくゆる紫煙を見上げていた。
「おう」
「煙草持ってんじゃないですか」
「・・・ふふん」
確信犯め。
でもこの感じが正直嬉しい。すっかり気持ちを許してくれているのがわかる。
俺は自分も煙草に火をつけて、先輩の横に立った。
「也」
「はい」
「あれ、どうなったん」
「あれ?」
「・・・見合い」
「ああ・・・えっと・・・ですね。多分、破談になります」
「破・・・談って・・・」
「もう、そのまんまですよ。本人に・・・がっつり言っちゃいましたから」
「・・・・・お前、結構やべえやつだったのな」
「そうだったみたいです」
「面白えなあ」
仁科先輩の腕がまた、にゅっと伸びてくる。今日は仕事用に髪を整えているからか、上からポン、と叩くだけだった。
その手が優しくて暖かくて、視線を落として俺は自分の表情を隠した。
「仁科先輩」
「ん?」
「結婚のメリットって、なんですか」
俺は一体、何を聞いているんだ。先輩は妻の浮気に気づいているかもしれないのに。そもそも子供が出来ないことを直接聞いているのに、こんなこと、失礼極まりない。
「メリット・・・か。うーん、なんだろな」
仁科先輩は怒りもせず、腕を組んで真剣に考えだした。
「ありきたりだけど、やっぱあれじゃね?帰ると家の灯りがついてて、温かいメシが出来てるってやつ」
「・・・なるほど」
「俺らみたいに子供がいなくても、それは同じだからな。・・・おい、また暗くなるんじゃねえぞ」
「・・・はい」
「お前はどう思う」
「え?」
「結婚のメリット」
「・・・してないのに、聞くんですか」
「想像でいいよ」
「・・・・・・俺は、」
頭を巡らせる。
結婚生活なんて想像できない。
でも、もしも。
夜眠るときも、朝目が覚めた時も、いつでも側に仁科先輩がいたとしたら。
年を重ねても、ずっと。
「質問の内容とずれるかもしれないすけど・・・俺はよく聞く、時間が経つと空気みたいな存在になるっていうの、やなんですよ」
「へえ」
「あたりまえじゃなくて・・・強烈に意識していたい、されたい、みたいな・・・・」
先輩がひゅうっと口笛を吹いた。
「熱烈だな」
「からかわないでくださいよ」
「からかってねえよ。続けて?」
「・・・だから、そういう相手じゃないと、結婚したくないと思うんで・・・メリット、って言うなら、そういう感覚を感じられること、ですかね」
「・・・いいじゃん。也に、そんな熱いとこがあるなんて知らなかったよ」
意外な答えが返ってきて面食らった。熱いというよりは、うざい、のではなかろうか。
「ってことはだ。そこまでの気持ちの持てない相手に巡り会わないかぎり、也は独身を貫くわけね」
「・・・貫くっていうか、結果そうなってしまうというか・・・」
「そっかあ」
「・・・なんで嬉しそうなんですか」
「いや、はは、多分お前、ふっ、ジジイになるまで、ははっ、一人だなあって」
「・・・そんな笑います?」
「あはは、悪ぃ、ははは」
何がそんなに楽しいのか、仁科先輩はしばらく笑っていた。
顔が熱くて仕方なかったので、返って助かった。
俺はもう出会っている。そんな相手に。
でも、俺もあなたも男で、あなたの妻は浮気をしている。