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「なんだよ、それ・・・」
言葉が勝手にこぼれ出す。
五十嵐と別れて、ひとりアパートに向かいながら俺はつぶやいていた。
情報量が多すぎて、頭が追いつかない。
仁科先輩が俺を助けてくれたのは偶然じゃなかった。
そんな、10年以上も経って、俺得でしかないなことが起こるなんて。
俺の置かれている状況とはまったく別の次元で、俺の黒い記憶がカラフルに塗り替えられていく。
アパートについて、いつものように部屋着に着替え、ベッドにダイブした。
「・・・って言ってもさ・・・結婚してんじゃん・・・」
嬉しかったのは束の間、仁科先輩の現在の状況が俺を現実に引き戻す。
あの時、自分より俺を優先した仁科先輩に怒り、大騒ぎした浅はかな女「山口弓」が、今や彼の妻。
万が一、いや奇跡的に、仁科先輩が俺に後輩以上の気持ちをもっていてくれたとして、所詮は高校時代の話。
お互い大人になった今、仁科先輩は女性を、それも山口弓を妻に選んでいるのだから。
結局、俺には、なんの勝ち目もないってことだ。
気がつくと、ビールの缶がいくつも床に転がっていた。
「今さらそんなこと聞かされてもさぁ・・・手遅れじゃん!どうしろっていうんだよ・・・余計諦め悪くなんじゃんかよ・・・くそ・・・」
ビールをやめて、シンク下からほとんど使わない料理酒を出した。
とにかく酒を飲んだ。
どれだけ仁科先輩が好きなのか、否が応でも自覚させられる。
浴びるように飲んで、飲んで、飲み続けて、いつのまにか眠りに落ちて、夢を見た。
(・・・也?)
夢の中、いつもの作業着を着た仁科先輩は安定の格好良さだった。
しかし俺は夢の中でも、現実の延長戦でべろべろに酔っぱらっていた。
(先輩・・・ひどいですよ・・・そんなの知らなかったっすよ・・・)
(え?)
(・・・もう、諦められなくなっちゃったじゃないすかぁ・・・)
俺は仁科先輩の作業着の胸元を掴んで、わしわし前後に揺らした。
先輩はいつものように、俺の頭をやさしくぽんぽんしながら尋ねる。
(諦めるって、なにを諦めんだよ)
(言わなきゃわかんないんすか・・・鈍いっすよねぇ、昔から・・・)
口が滑った。
先輩の機嫌が若干悪くなる。酔っぱらってるから大目に見てください。殴らないで。
(・・・あ”?何だと?)
(だってそうじゃないですか・・・なんで結婚・・・それも・・・よりによってぇ山口、弓とぉ・・・)
(弓?弓がどうしたよ)
(俺は・・・ずっとぉ・・・先輩のことがぁ・・・)
(也?)
(どうしてくれんすか・・・もう・・・辛いっすよ・・・先輩・・・)
(也、おい、お前・・・・・・)
(先輩・・・先輩ぃ・・・)
あろうことか、俺は夢の中で仁科先輩に抱きつき、キスをした。
翌朝、目が覚めた俺のまわりにはビールの空き缶と料理酒の瓶、空いたグラスとつまみが袋から飛び出して散乱していた。
当然気分は最悪、立ち上がると吐き気と頭痛がひどい。
完全な二日酔い。
酒に強い方だが、一年に数回こういうことがある。決まって途中の記憶がない。
それでも仕事には行かなければならない。
重たい身体を引きずってシャワーを浴び、バスルームから出ると枕元に置いたままの携帯の画面がメールを受信して明るく光っている。
手にとって、うわっ、と声が出た。
「仁科由悠季」の文字に心臓が喉から飛び出すかと思った。
やばい夢を見た直後の本人登場はなおやばい。電話じゃなくて本当に良かった。
おそるおそる画面を開いた。
「・・・・・・ふぇ?」
間の抜けた声が出た。
そして、急に血の気が引いた。
(おはよう。二日酔い、大丈夫か?)
二日酔い。
なんで、俺が二日酔いなの、知ってるの?
背中を鳥肌が覆う。
あわてて昨夜の発信と着信の履歴をチェックした。
最悪だ。
昨晩の「発信履歴」に、仁科先輩の名前がある。
時刻は23時。
飲み始めて1時間経った頃だ。
もちろん俺は記憶がない。