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携帯を持つ手が震える。
こんなに緊張するのは、生まれて初めて仁科先輩に声をかけた時以来だ。
まずは飲みに誘う。
いい具合に酔ってから、何気なく切り出す。
いや、酒の力を借りていい問題か?いやいや、素面じゃ絶対無理だろう。いやいやいや、だけど酔ってたら本心を聞き出すなんてとても・・・
いやいやいやいや。
結局振り出しに戻って電話をかけられなくなること数回、30分経過。
五十嵐と話した内容を、仁科先輩はどこまで知っているのか。
山口がうまく隠し通していれば、情報はゼロだ。そこに他人の俺が爆弾をぶち込むなんて、どう考えても危険すぎる。
でも、俺はこの件を黙っていることは、どうしても出来ない。
真偽のほどを確かめることは出来ないまでも、せめて仁科先輩の本心を聞きたい。
俺が電話を持って考えを巡らせているその時、携帯が着信して震え始めた。わたわたして取り落とし、慌てて拾い上げると液晶画面には「仁科由悠季」の文字。
どこかで見ているのかと思うほどのタイミング。自分でかける勇気が出ないと思っていたところでこの電話は、助かったとしか言いようがない。
「も・・・しもし」
「おう、也?仁科だけど」
「お疲れさまです」
「お前今日、何時終わり?」
「19:00には・・・」
「おっ、ちょうど俺もその頃終わるんだけど。メシ行かね?」
「は・・・はい・・・」
「あれ、なんか予定ある?」
「ないですっ」
「即答じゃん。じゃ、今日は「漁り火」にすっか」
これで良かったのだろうか。むこうから誘われて、酒の力を借りて真実を探り出す。あまりにも俺に都合良く事が進み、逆に不安だった。
しかしこの機会を逃してしまったら、きっと俺は何も聞けないまま終わってしまうだろう。
俺は電話を切って、仕事に戻った。
「お前、顔色悪くねえ?」
「え・・・いえ、そんなことないっす、元気です」
「マジ?ならいいけど」
仁科先輩はビールを豪快に煽る。
今日は家で夕食を用意されていないのか。そんなことを考えている間にビールを注がれる。今日だけは前後不覚になるのは避けたい。ちびちび飲みながら、俺は他愛のない話を続けた。
「なあ、也」
「はい?」
「今日、このあとヒマ?」
「・・・・・・え?」
頭が自動的に良からぬことを考える。そんなことあるわけがないのに、自分自身のおめでたい思考にげんなりする。
俺の考えを知ってか知らずか、仁科先輩は上機嫌だ。
「このあとって・・・もう9時ですよ?」
「ちょっと付き合って欲しいんだわ」
「・・・どこにですか?」
「まあまあ、いいから。じゃあ、行くべ」
「えっ、あのっ、先輩っ」
期待するな、期待するな、と言い聞かせながら仁科先輩について歩き出す。夏祭りも終わり、夜の町は若干涼しくなってきている。
ふらりふらりとおぼつかない足取りで仁科先輩は俺の少し前を歩いていく。途中から、うっすらと覚えのある道順であることに気がついた。
住宅街を抜け、バス通りを山の方に向かって上がっていく。
途中には俺が子供のころ通っていた幼稚園、小さなたばこ屋、クリーニング店・・・
「先輩・・・っ・・・あの、」
「お?気づいた?」
「この道って・・・」
辿りついたそこは、俺と仁科先輩が通っていた高校の門の前だった。
石造りの柱に施錠された銅色の柵の付いた門は、多少くたびれているが健在だった。金色の文字の表札は新しく作り直されたのか、古い門とのバランスが悪い。
当然校舎にはだれもおらず、真っ暗だ。当直教師の泊まる宿舎は、この場所からは見えない。
「やっぱ閉まってるよなあ」
仁科先輩はがしゃがしゃと柵を揺らす。中を覗きこんで様子を伺っている。
「・・・まさか忍び込むつもりじゃ・・・」
「人生で一回はやってみたいと思わねえ?」
「思わないっすよ!不法侵入ですよ?!」
「堅ぇなあ」
ははは、と笑って仁科先輩はおもむろに柵に足をかけた。この人、本気か。
「マジでやる気ですか?!やめましょうよっ」
「いーから見てろって。よっ・・・と」
自分の腰ほどの高さの横棒に足をかけた仁科先輩は腕の力で上半身を引き上げ、踊るように片足を持ち上げて柵を跨いだ。
俺はその光景にあんぐり口を開けるしかなかった。
「先輩・・・っ・・・」
「ほら、お前も来いよ」
柵の上から仁科先輩は俺に向かって手を伸ばした。
30を越えた大人の男がふたり、夜の高校に忍び込もうとしている。馬鹿馬鹿しいのに、仁科先輩とふたりで忍び込もうとしている背徳感と高揚感で、勝手に腕が伸びてしまう。
仁科先輩の手を掴んで、俺は同じように横棒に足をかけた。