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本来休みだったその日、インフルエンザにかかったという同僚のピンチヒッターで俺は出勤した。
やっぱり雪が降っていて、いつものように雪かきをしなくてはならなかった。
除雪機を出して、入口のまわりを終えたところで、一緒に作業していた同僚がこう言った。
「喫煙所の方もやらなきゃだよな」
「ああ、そうだった」
この日は男性職員が少なかった。俺ともうひとりでだいたいのところをやり終えなければいけなかった。
除雪機を駐車場側の喫煙所に移動させてみると、思っていたより積雪が多く、俺と同僚は大きなため息を吐いた。
もう30分は外にいる。手がかじかんできた。
黙々と作業をして、15分で除雪は終わった。
安心して、油断したのが小さな災難を呼んだ。
「うわっ」
除雪機が止まっていて良かった。
雪の下に隠れていた氷に足を滑らせ、俺は今年初めての大きな転倒をした。
子供の頃から雪が降ると、毎年一回は転ぶ。どんなに注意していても、必ず一回はやってしまう。
10年ぶりに故郷に帰ってきての初転びだった。
「あいたたた・・・」
「葉山、大丈夫か」
「ちょっと悪い、手、貸して」
頭を打たなかったのが幸いした。打ち所が悪かったら、脳震とうを起こすところだ。
同僚の手を借りてなんとか立ち上がったが、どうやら足首を捻ったらしい。
最初はたいしたことないと高をくくっていた。
事務所の救急セットから湿布を拝借して、こっそりトイレで貼り、制服のスラックスに隠してフロントに立った。
ところが。
一時間が経ち、二時間・・・正午を迎えるころには、ちょっとした移動も足を引きずらなければいけなくなった。
「也仁さん、なんか動き、変じゃありません?」
「・・・気のせいじゃないかな」
「気のせいじゃないですって。あ、ほら、足引きずってる!」
女性社員にバレた。転んだ、とは言いたくなくてごまかしていたが、そろそろ庇って歩くのも本気で痛い。
「午後、早退して病院行った方が良くないですか?」
「だって今日フロント人少ないし、病院行ったって、湿布もらって終わりだから」
「そうですけど、痛そうですよ?・・・・・・あ!」
女性社員が大きな声を上げた。
そして入口の自動ドアの方に向かって手を挙げた。俺は振り向いて、息が止まった。
なんというタイミング。女性社員がそこに現れた人物を呼び込んだ。
「仁科さん!」
そうだった。
今日はいつもの点検の日。
呼ばれた仁科先輩は俺たちの方ににこにこしながら歩いてくる。
滑って転んで足が痛いなんて知ったら、絶対にヤンキーは馬鹿にする。俺は営業用スマイルを顔に貼り付けた。
「お世話さまです、仁科さん、ちょうどいいところにいらっしゃいました」
「どーも、何かありました?」
仁科先輩はいつものスタイルで、カウンターに肘を乗せた。どうにかこうにか誤魔化したい。
「聞いてくださいよ。也仁さんが、足を怪我してるみたいで・・・」
「足?」
「いや、何でもないんです、ちょっと何言ってんの」
「仁科さんからも言ってください、引きずってるんですよ」
「何でもないんですってば・・・・・・痛っ」
うっかり大きく踏み出して、もろに痛い足に体重が乗った。
なんて間の悪い。
女性社員と、仁科先輩の視線が俺に集中した。
「足、どうしたんだ?」
にんまり笑って仁科先輩が言った。諦めるしかなかった。
予想通り仁科先輩は爆笑した。そんなに笑わなくてもいいのに。
「東京行って、雪の上の歩き方忘れたか?」
「忘れてませんよ・・・油断しただけです」
「に、しても痛そうだな。病院行かなくていいのか?」
「病院行ったって、湿布もらって安静に、って言われるだけじゃないですか」
同じ事を俺は繰り返した。湿布なら家にもある。たかが捻挫くらいで大袈裟な。
しかし、隣で女性社員が別の案を持ち出した。
「あ、じゃあ、整骨院はどうですか?南町の・・・えっと、森岡先生のところとか」
整骨院。その手があったか。幸い腫れはひどくないし、何か処置してもらえるかもしれない。
女性社員に詳しい場所を聞いて、夕方行くよ、と言ったらすぐに行けと諭される。
と、カウンター越しの仁科先輩を見た。
口を半開きにして、俺を見ていた。いや、厳密には俺を通り越して、壁の一点を見開いた目で見つめていた。
「先輩・・・?」
「・・・あ、ごめん、なんだっけ、整骨院?」
仁科先輩が戻ってきた。女性社員が携帯の番号を示しながら言った。
「森岡整骨院、っていうんですけど、仁科さんご存知です?」
「・・・知ってるよ。仕事で、行くから」
「腕のいい先生ですよね」
「ああ・・・うん」
先輩はまだ少しぼんやりしていた。何か気になることでもあるのだろうか。
「也」
「はい?」
「・・・・・・整骨院、行くのか?」
「えっと・・・そうですね、引継して、早退させてもらえたら・・・」
「・・・・・・そうか・・・、あの、な・・・」
何かを言い掛けた先輩は、途中で電池が切れてしまったように動かなくなった。
これは本格的におかしいぞ、と思ったが、次の瞬間仁科先輩は意を決したように言った。
「乗せていってやるよ」
「え?あの、先輩、今日点検・・・」
「八嶋に連絡する。その足じゃ、ひとりは無理だろ」
「大丈夫です、このくらいなんとでも・・・」
「いいから!」
怒ったように言い切り、仁科先輩は踵を返した。
何があったのかわからないうちに俺は早退することになった。
結局その後俺はまた、「仁科配管」の社用車で整骨院まで送ってもらうことになったのだ。