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「いただきまあす」
桃音ちゃんが大きな声で言う。泉美さんはにこにこしながら桃音ちゃんの胸にエプロンを付けて言った。
「はい、どうぞ~、也くん、飲み物は?」
「あ、ええと、ウーロン茶で・・・」
「あ?何で酒飲まねえの?泉美、いいからビール持ってきて」
「りょーかーい」
「えっ、でもまだ昼・・・・・・」
「休みの日にぐだぐだ言ってんじゃねえよ」
元ヤンが2人いると、もう勝ち目はない。俺はおとなしく出されたビールを飲んだ。
今日は、仁科先輩のマンションでお姉さんの泉美さんが手料理を作ってくれて、桃音ちゃんも一緒に4人でパーティー、という催しだった。
おそらく先輩が俺を元気づけようとして企画してくれたっぽかった。今から来い、と言われたのが30分前で、ドアを開けると美味しい匂いがワンルームに充満していた。
桃音ちゃんの大好物だというクリームシチューと、大人用にビーフシチュー。お洒落なカゴに入ったバゲットやサラダなどが小さなテーブルにところ狭しと並ぶ。
「おいしーい」
「ほんと?良かったねえ、ももちゃん、中に入ってるお野菜も食べるんだよ」
「にんじんやだ・・・」
「どれ、桃音のにんじん、俺が食ってやる」
「だから甘やかさないでって言ってんでしょ!」
「ママ怖いね~」
3人の会話を聞いているだけで楽しい。
桃音ちゃんはコロコロとよく笑って、本当に可愛らしい。どうしてかわからないが、俺にもよくなついてくれ、おにいちゃん、と呼んでくれる。
「おにいちゃんも、にんじん、はーい」
桃音ちゃんはフォークに刺したにんじんを俺の皿に丁寧に載せた。あわてて泉美さんが腰をあげる。
「ももちゃん、だめでしょ!也くんごめん!」
「あ、大丈夫ですよ、桃音ちゃん、ごちそうさま」
にんじんを食べる俺と桃音ちゃんを見て、先輩が不満そうな声を出した。
「ってゆーかさ、也、「おにいちゃん」な歳でもなくね?」
「いいじゃないですか、そう言ってくれるんですから」
「どっちかって言ったらおじちゃんだろがよ」
「それは言い過ぎでは・・・」
「也くんがおじちゃんなら、ユキもでしょうよ。ももちゃん、今度からユキおじちゃんって呼んでほしいみたいよ?」
「えっ、それはやだ」
みんなで笑うと、桃音ちゃんは不思議そうに首を傾げる。先輩はとにかく桃音ちゃんに甘い。娘がいたらこんな父親になるのだろう。
わいわいにぎやかに好きなことを喋り、美味しい料理を平らげたころ、泉美さんはすっかり出来上がって、気づけば床に寝転んでうたた寝を始めた。
「っとに、弱いくせに飲み過ぎなんだよ」
仁科先輩は泉美さんを軽々持ち上げて、自分のベッドに横たわらせた。乱暴に掛け布団を被せるが、その仕草が何故か優しく見える。
桃音ちゃんは慣れているのか、気にするふうでもなく持ってきた絵本を俺に読んでほしいとせがんだ。
「也、俺ついでに煙草買ってくるからさ、桃音と留守番しててくれない?」
「いいですけど・・・泉美さんは・・・」
「しばらく起きねえから大丈夫。もも、おにいちゃんといい子にしてろよ」
「わかったぁ」
何がついでなのか解らないが、仁科先輩はいそいそと煙草を買いに出かけてしまった。
俺は桃音ちゃんのリクエストにお答えして、人生で初めて本の読み聞かせというのをやってみた。
どこまで買いに行ったものか、先輩はなかなか戻って来ず、泉美さんもすやすやと眠っている。
不思議な状況だが待つしかない。本を読み終えると、桃音ちゃんは俺を見上げて、こう言った。
「ねえ、おにいちゃんは、ユキちゃんのおうちにすむの?」
「・・・・・・え?」
子供というものは、脈絡なく思ったことを口にする生き物。
心臓が口から飛び出すかと思った。
確かに泉美さんは俺たちのことを知っている雰囲気ではあるが、これと言って具体的なことは一切聞いてこない。
が、この質問は?
日常的に話題に上っているということなのか。
「ち・・・違うよ?おにいちゃんは自分の家があるから」
「かぞくって、おんなじおうちにすむんじゃないの?」
「家族・・・?」
「ママが、ユキちゃんとおにいちゃんはかぞくになるかもしれないって」
「泉美さんが・・・」
「おにいちゃんは、ユキちゃんの、だいじなひとなんだよって、言ってた」
ベッドで寝息を立てる泉美さんは起きる気配がない。
先輩が自ら、泉美さんにそう言ったのか、それともこれも勘なのか。でもこんな小さな桃音ちゃんにまで話をするということは・・・
「桃音ちゃんは・・・もしおにいちゃんが、せんぱ・・・ユキちゃんの家族になったら、どう思う?」
「えっとね、えっとね、ユキちゃんと、ママと、おにいちゃんと、ももで、すいぞくかんいきたい!」
「水族館か・・・何見たい?」
「ペンギン!」
「アザラシは?好き?」
「アザラシも好き!」
楽しそうに桃音ちゃんは、水族館で見たいものの話をした。
少なくともこの子と泉美さんは、俺が仁科先輩の家族になることを受け入れてくれている。
身体のずっと奥から、温かい気持ちが湧き上がって来た。
「楽しそうだな」
がちゃりとドアが開いて、カートンの煙草とビールや酎ハイの缶、酒屋に行かないと買えない銘柄のウイスキーの瓶が入った、ばかでかいビニール袋を持った仁科先輩が帰ってきた。
時間もかかるはずだ。
「ユキちゃんおかえり~」
「もも、いい子にしてたか?・・・って、泉美、まだ寝てんのか」
先輩はどかっと荷物を入り口に置き去りにして、おーい、起きろ酔っぱらい、と泉美さんをベッドごと揺らした。
結局その後無理矢理起こされた泉美さんの酔いがさめるまで、俺は桃音ちゃんと楽しくお話し、仁科先輩は買ってきた酒をちびちび飲みながらそれを見て笑っていた。
夕方になり、酔いがが覚めた泉美さんは桃音ちゃんを連れて帰って行った。桃音ちゃんは最後まで、すいぞくかんいこうね、と言っていた。
「水族館ってなんだよ」
俺が桃音ちゃんに懐かれたのが気に入らないのか、先輩は煙草をふかしながら、俺をにらみつけて言った。
「妬いてます?」
「桃音は俺の姫だから」
泉美さんたちが帰っても飲み続けている先輩は、今日何本目かになるビールのプルタブを引っ張った。
「俺が・・・先輩の家族になるのかって、桃音ちゃんに聞かれましたよ」
「へっ・・・?」
「泉美さんがそう言って聞かせているみたいで・・・ユキちゃんとおんなじおうちに住むの?って」
「マジか・・・」
由悠季をよろしくお願いします、と言われたあの日から、正直俺の中で意識はしていた。それが、桃音ちゃんのひとことで、急に現実味を帯び始める。
「それで、俺が先輩の家族になったら、一緒に水族館に行きたいそうです」
先輩は急に黙ってしまった。
怒っているわけではなくて、ちょっとにやついている感じ。俺も自然と頬が緩む。
想像もしなかった未来を、桃音ちゃんが連れてきてくれた。
先輩は煙草の煙をたっぷり吐き出して、言った。
「あいつは・・・いい女になると思うよ。そう思わねえ?」
「思います」
「俺と結婚する予定だったんだけどな」
「・・・じゃあ俺、桃音ちゃんに謝らないと」
「そう・・・だな」
「いつ・・・・・・行きます?水族館」
「え?」
先輩は吸いかけの煙草を持ったまま、静止した。
あまりにさらっと言えて、自分でも驚いた。
「・・・それって・・・プロポーズ・・・?」
「・・・確認しないでもらえません?」
お互いまでの距離、10cm。もはや照れるでもなく、俺たちは見つめ合った。
どうしても未来を信じきれず、覚悟の決まらなかった俺たち。
やっとここまで来た。
先輩が言った。
「そういえば、ここのマンションの7階、でかい部屋空いたんだって。この部屋の3倍くらいの」
俺も言う。
「そうなんですか・・・あ、実は俺のアパートの下の部屋で、この間、水道管凍結して、破裂したんですよ」
先輩が返す。
「マジか!ちゃんと水抜きしてなかったんだな・・・あ、で、その7階がさ、めっちゃ日当たり良いらしくて・・・ほらここ、建物の影になってんじゃん?そんなに家賃変わらないし、引っ越したばっかりなのに、そっちもいいかなって揺らいでんだよな。ただ・・・一人じゃちょっと広すぎるけど」
俺も応戦する。
「わかります、日当たり大事ですよね。水道管も古いから俺の部屋も心配で・・・ちょうどこのあたり、ラソンブレにも近いし、コンビニも豊富で便利ですよね。飲みに出ても歩いて15分だし、立地最高」
微妙な沈黙。
俺は言った。
「先輩、その7階って・・・家賃、いくらくらいなんすか」
「ん?えーと・・・・・・これくらい、ほら」
先輩は不動産屋のサイトを画面に呼び出し、顔を近づけて俺の前に差し出した。
それを覗き込んだ俺に、先輩はキスをした。
「一緒に・・・住むか」
「・・・・・・はい」
先輩は、携帯を床に置いて、俺の顔を引き寄せた。
温かい唇が、もう一度重ねられた。